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セネガルニューズレター No.1 2002/01/15

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No.1 2002/01/15

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セネガルという国

 さて皆さん、セネガルがどこにあるかご存知でしょうか?多くの方は「あまり聞いたことがないなあ」と思われるかもしれません。では首都のダカールはどうでしょうか?今度は「どこかで聞いたことがあるなあ」と思われるかもしれません。そうです。ダカールは有名なサハラ砂漠を越えるパリ-ダカ・ラリーの終点です。

 どこにあるかって?アフリカの地図を見て下さい。大陸の左側の上の方が大きく大西洋に突き出しているはずです。その一番左に突き出したところ、そこがセネガルです。さらに首都のダカールは一番左に突き出した岬の上にできている町です。ですから海の幸はけっこうあり、日本人にはありがたいところです。

 時間はイギリスと同じグリニッジ標準時です。ですから日本とは9時間差。ただし、経度0のイギリスよりもさらに西に位置していますから、夜明けも日の入りも遅く、明るくなってくるのが朝7時ころです。そのせいで最初の朝は時計が狂っているのかと思ってしまいました。

 公用語はかつての宗主国の言葉、フランス語ですが、多くの人は他の途上国と同様それ以外に自分の民族の言葉を話します。一番多いのはウォロフ語だとか。仕事はフランス語でしなければいけませんが、ホテルや街中の商店などでは英語が通じるところもあります。

 僕にとっては初めてのフランス語圏。10日間フランス語の講義を受けたものの、やはり語彙がないですからほとんど聞き取れません。同じラテン語系のスペイン語ができる、とは言っても、フランス語で仕事ができるようになるためにはしばらくは苦労しそうです。「じゃあそれまでどうするの?」いい質問ですねえ。幸いなことに僕のプロジェクトの他の日本人スタッフはみんなフランス語ができますから、しばらくは「おんぶに抱っこ」で迷惑をかけることになると思います。

 セネガルの人口は900万人強。多民族国家で、農耕を中心とする人たちと、牧畜を中心とする人たちがいるようです。海岸沿いには漁業を営む村もあります。イスラム教徒が95%を占め、キリスト教徒が5%、他(伝統宗教など)が5%ですが、イスラム教に加え、キリスト教の祝日も国の祭日になっています。

 セネガルは共和国ですが、アフリカの中では例外的にクーデターや独裁制がなく、独立以来民主主義を保ってきている国です。大統領も現在国内の南のほうでは少数民族の独立運動もあるにはあるのですが、中央政府が民主的で安定している、という意味では本当にアフリカでは例外的と言えるかもしれません。

 一つには初代大統領センゴール氏の働きが大きいかと思います。この人は詩人としても有名な人でしたが、余生を送っていたフランスで2001年12月20日に他界され、僕が赴任してきてすぐの12月29日にダカールで葬儀が営まれました。イスラム教徒が大多数を占めるこの国で、センゴール元大統領は少数派であるカトリックの信者だったようで、葬儀もカトリックの聖堂で行われました。(写真は半旗を掲げる大統領官邸)僕が赴任してくる時のフライトには、やはりパリに滞在していて葬儀のために帰国されるディウフ前大統領が搭乗されていました。


ダカールの新年

 2001年の正月は久しぶりに日本で迎えましたが、2002年の新年は再びアフリカの地で迎えることになりました。これが確かアフリカで迎える10回目の正月だったと思います。2001年の正月には家族として妻が増え、新しい世紀を迎えるにあたり感慨深いものがありましたが、2002年には息子が増えて喜びはさらに増していました。残念ながら妻と息子はニューヨークに滞在しており、電話で息子の笑い声を聞くことしかできませんした。

 さてセネガルの首都ダカールの新年は、他の多くの国と同じように年越しのパーティーと、花火や爆竹の光と音で迎えられます。僕は都心のアパートの八階にある同僚のお宅のパーティーに参加していましたが、暗くなるとすぐ花火が上がり始め、12時が近づくにしたがってその数が増えてきました。そして次第に外を走っている車の数も増えてきました。12時になると車が一斉にクラクションを鳴らし、新年を祝福しました。また一体どこから出て来たのか、通りが人であふれかえり始めました。

 イスラム教徒が多いこの国に初詣の習慣があるとも思えず(イスラム暦は太陽ではなく、月を基準にしたカレンダーです)、この多くの人出は一体どこへいくのか良くわかりませんでした。まだ時差ぼけが残っていた僕は、午前1時ころにまだ盛り上がって続いているパーティーを辞してホテルへ戻りましたが、ホテルのレストランがまだオープンしていてお客さんがかなり入っていたところをみると、町に繰り出している人たちは、ただぞろぞろ歩いてお茶などを飲んでいるのかもしれませんね。

 ホテルの部屋に戻ると、テーブルの上にカナッペとビスケット、そしてワインの小ビンが一本のせてありました。 Bonne Année!


フランス語を習う

 1月6日からフランス語を習い始めました。日本でも10日間だけ受講してきたのですが、今回は滞在中できるだけ継続して勉強しようと思っ先生を引き受けてくれたのは、僕の前任者に現地語であるウォロフ語を教えていた大学生のエミリーさんです。まず授業料の交渉をしたのですが、前任者から聞いていた授業料よりも高い金額を提示されました。その理由が「ウォロフ語は私の母語なので、覚えるのに手間がかかっていない。フランス語は私の母語ではなく、私自身お金を払って勉強したので、授業料は高くなる」でした。

 うーん、なかなかすごい理由です。日本人の感覚だと、ウォロフ語の方が教えるクオリティーが高いはずですからその分授業料も高くなり、母語ではないフランス語はむしろ安くなるように思うのですが。僕が日本語を教えるのと英語を教えるのと、どちらに自信があるか、と言われれば日本語ですし、したがって僕が教えるとしたら、日本語の料金を高くするように思えます。でも自分がいくらお金をかけているかによって値段を決める、というのは、投資とリターンの関係のようなもので、確かに言われてみればその方が合理的なのかもしれませんね。誰もが高等教育を受けられるわけではない途上国では、教育は投資である、という考え方がはっきりしているようですから。

 それはともかく、エミリーさんは授業がなかなか上手です。発音の勉強も、単語だけでなく、必ず文章を作って練習させてくれます。英語が少しできるし、スペイン語もいくらか知っているので(セネガルの大学ではスペイン語がかなり教えられているそうです)、わからない単語もいちいち辞書をひかずに進められますから、時間の節約にもなります。前任者に聞いた話だと、かなり宿題も出してくるそうなので、これから次第に厳しくなってくるのかもしれません。

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